人の持つ可能性を伝えていきたい。


より良くなるためにはどうしたら良いですか?」
昨年の夏のことになります。

あるコンサルタントの方とお話する機会をもらいました。

その方とお話したのは120分でしたが、
自分の無自覚の思考に気付かされたり、人生の励みになる言葉をたくさんいただいて

豊かで濃い時間となりました。

このサイトを訪れたあなたにも、
何かしらの気付きになるのではないかと思って
その時のコンサルの一部をシェアしていきたいと思います。


「今一歩、心開けないのはなぜか?」

その方は、私にそう問われました。

『心開いてるつもりなんだけどなぁ…』と、

自分の長年の「普通」の感覚は、言われてもピンと来ないもの。

問題にすら思ったことがない問いを頭の中に巡らせました。

『私は心を開いて人と話ていなかったのか…』

言われてみると、確かに他人に対して自分の中にある最終扉を開いて
付き合うことは出来ていないかもと思うところがありました。

『いつからそうしていたんだろう』

少し考えてから私はこう言いました。

「裏切られたことがある、
いつか人には別れが来る。

そう思うと誰に対しても心開く事をしなくても良いように思います。」

少し間をおいて、その方は「友達はいる?」と聞いてきました。

その方の言う“友達”とはママ友とか遊び友達ではなく『友に良くなる人達』
『 一緒に向上する人』です。“仲間”ともちょっと違う。

それで、私はその時「友達はいない」と答えました。

「心開いて付き合うと、別れの時に辛くなります」

“別れ”について、いろんな概念があると思いますが

私にとっては「辛くて痛みの伴うもの」

『出来れば味わいたくない』という感情を持っていました。

そんな私に、ゆっくり話してくれました。

「別れとは、
互いに成長する好い別れもあると思えば
もっとキャパが広がっていく。

痛みを伴うものだけでない。

君は良いものを持っている。
人間的魅力と個性もあるけれど、
そこが今一歩、何か他人対して
近づく時やこちらが近づいたら少し距離をとるのがもったいない。

人は1人で生きられない。
誰かの力を借りて生きるのもアリ。


もっともっとがむしゃらに、くっついていって心に近づいていき
「あなたの力を貸してください」
と言う

反対に言われるかもしれない
「じゃあ君の力も貸してください」

そう言われる世界がある。

それを「ない」事にして
自分が怖がっていては広がっていかない。

この世は自分以外は他人で出来ている

もっと良くなるには
他人の力を借りて成長する。

腹が座っている人や
信頼できる人がいるなら
もっと近づいて良い。」

頭ではわかる事なのに、出来てなかったというもどかしさを感じました。

そして近づいてみたいと思うと恐怖も感じました。

私は涙が溢れました。

「いま
流す涙が喜びの涙に変わらなければならない。」

人生に1人でも味方がいたら
いくらでも進める。

それが出そうな人」

「そうするにはどうしたらいいのでしょうか?」と私は聞きました。

自を出す。

わからない事は
「 わからない」

知らない事は
「知らない」と言う
。」

頭のいい人は、わからない事を自分で検索したり本を読んで調べようとすると思うけれど

何かを調べるときに
血「人」が通ってない


人と人の間で話をしてないから
熱がない。

これはどう思ってる?
あーだ、こーだ話してるところの
会話。人の間の熱。
血が通ったもの。
人として生きてるならそんな自分を
働かせたらいい。」

確かにそんなことしていなかったし、そう出来たらいいなと思う私に対して

「当たって砕けろ。
意外に砕けないし
いい経験になる。」

そう言ってくれました。

良い子ちゃんを辞めてみる
悪い子、出来ない子のほうが
可愛いがってもらえる。

器「姿」が良い人はポジティブフィードバックをもらって
自分でもわかってる事は置いといいて、
『何でこんな事言われたのか?』という小意見を掘り下げる。」

「外見が良い人は
周りから言われる事と、心が追いついてない事が多い

人が言う事に自分を合わせようとし、良い人になろうとする。
“上手くやろう”としたりする。遊び人になる
。」

少数意見といえば…

私「ポジティブフィードバックの少数意見で[ヤンキーが似合う]と言われたのですが…そういうのをなぜ言われたのか掘り下げるということでしょうか?」


そう、強い部分がある、勢いがあるところが滲み出てる。だからそういう言葉を言われた。
だから強くなろうとしなくていい。弱くていい

強い部分は前に進む力。
進められる力を持ってるんだなぁと、知っていたらいい

“強がっている”のは不自然、
わざわざ“バネにしよう”としてるのも不自然。
ただ悔しがってるのも不自然。
自覚して、考える必要は無い。

単純にそうなんだなぁー
と置いておけばいい。

「無い」としてると求める。
欲が出ると、求め過ぎる。
=不自然

自然にそうなる姿が
「ユカちゃん、らしいなー」と、なる。
それが、“そのまま”。

そうなると
知らなかったら
らしく無い。

良い人と言われる人物像をやめる。
周りがどう期待してる人物像にならない。

眠ってる自分を起こす。

ポジティブフィードバックに
“合わせよう”としてる時点で
“そうではない”としてる。

その人らしい事だから、人から言われる。」

今後の課題について聞いてみると、

「大きくなろうとする中で
自分に甘い、諦めが出てる。
甘さと諦めを辞めたらいい。」

と、刺さる言葉をいただきました。

そのコンサルから半年過ぎ、自分のやりたい事や考えたことについて気負わず話せる友達が出来ました。

同時にその人たちに“出来ない自分”を見せることもしました。
すると、「裏表がない」「ユカさんの前では何も考えずに話ができる」という新たなポジティブフィードバックが聞けるようになったのです。

自分『そのまま』で居ることで、付き合う人全てが心地よい関係性になっているなと実感してます。


その事で、私が幸せを感じるには「普通」の、「そのままの自分」を受け入れてもらえなくてはいけないのだとも解りました。

そして、お金があって社会的に褒められたとしても“自分そのまま”でいられてないと心虚しいものだとも感じました。

それに気がついた時に、今まで私が追い求めていた「幸せ」の形がガラッと変わりました。

…と、どうしてこんな事を書くのかというと、その人からいただいた言葉があったからなんです。

ユカちゃんは人よりも淋しさ、辛さ、孤独感を扱うのが下手くそだったんだろうな。上手くやれなかったから、人よりも感じてきた。

悲しみを知っているなら、同じ悲しみをしている人に同じ思いをさせないように自分がより良くなってその人たちの希望になるよう専念する。」

それを表現していくのは「絵」なのかもしれない

わたしは私を通して、「人の可能性」を見せていきたい。

こうして世界が変わったよ、と表現をしていって

見てくれた方の、今まで眠っていた「個」が目覚めてくれたら何よりの喜びです。

私と出会ってくれた人がより良い人生でありますように!^ ^


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です